2ヶ月の振り返り

 私は今都内の病院で看護師をしている。ちょうど今日で働き始めて2ヶ月が経った。

 2ヶ月。「まだそれだけしか経っていなかったのか」と感じている。それほどまでにこの2ヶ月間が濃く、環境の変化の大きさに思いを馳せずにはいられない。自分の記憶力の低さと注意散漫さに少し押しつぶされそうになりながら、なんとか踏ん張っている。よく色んなところに色んなものをぶつけている。

 さて、配属になったのは精神科である。これから記事を書くとしたら割とこの精神科での話だとか、そこから抽出された議題だとか、例え話が多くなるかも知れない。ということで、精神科と聞いてどんなイメージを抱くだろうか。
 精神科は看護学生の私にとってもやや特殊な科だった。特殊だと感じていた理由を説明するにあたって、看護の実習のシステムを少し周知しなくてはならないと思う。どうでもいいことでもあるので飛ばしてもらっても構わない。看護学生の実習というのは次の項目に分かれている。
①急性期看護(手術がイメージされる疾患。入院して手術して退院していく過程を学ぶ。)
②慢性期看護(手術して治る、というよりはより慢性的な疾患を持つ患者との関わりを学ぶ。)
③小児看護(成人に当てはまらない、所謂こどもの療養生活を学ぶ)
④周産期看護(お母さん、赤ちゃん、出産)
⑤終末期看護(積極的に治療をしていくことをやめ、痛みをコントロールすることにした患者を対象とした看護を学ぶ)
⑥在宅看護(病院ではなく自宅で治療する患者への看護を学ぶ)
⑦精神看護(精神疾患を抱えた患者の看護を学ぶ)
まだあったかもしれないがざっとこんな項目である。私が7項目目の精神看護に特殊性を感じていたのは、他の項目が病期(どんな治療の過程にあるか)で主に分類されているのと異なり、精神看護はしっかり疾患として分類されていると感じたからである。少しわかりにくくなってしまったかも知れない。要は他の項目はAという病気、Bという病気、というようには分類されていないのだが、精神看護は「精神疾患(病気)を対象とした」看護となっている。

 

 もう一度繰り返すが、精神科ときいてどのようなイメージを抱くだろうか。私は学生のころ、精神科での実習が一番「キツそう」と感じていた。正確には、「興味はあるけれども、理解をできない人たちを前に自分が嘘をつかなければならず、逃げてしまわないか怖かった」のかも知れない。「困っていそうな外国人に声をかけたいけど、訳わからなさそうな言語が返ってきそうで自分の語学力では対応できそうにもない。」感覚と、「今も戦争をしている国では小さい子供たちが飢餓で苦しんでいます、そこに目を向けましょう」と言われている感覚とが混合されているような怖さだった。

 思えば、この感覚は割と世間に溢れていないだろうか。電車を乗っているといわゆる「変な人」に出くわすことはないだろうか。急に叫び出したり、ぶつぶつ独り言を言っていたり、突然笑い出したり。そのようなシーンを見かけて、車両を変えたくなったり、目を合わさないようにしたり、逆にバレないように目で追いかけたり。

 そういう意味で「理解できなさそうな人」に恐怖を抱いてしまうのは今の社会において相当主体的に考えない限り仕方がないというか、割と「普通」であり、その人たちの感覚を「偏見はやめましょう」程度の浅い啓蒙でどうにかしようとは思わない。ただ、私のこれから述べる精神科での雑感、率直な意見を通して読んでくれた人に少し「気づき」が齎されたらこんなに嬉しいことはない。

 

 働いて2ヶ月、実感するのは「精神科にいる患者さんを理解するのは難しいわけではない」ということである。強迫性障害というカテゴライズを聞いたことがあるだろうか。何度手を洗っても手が洗えている気がしなかったり、気がついたら30分うがいを続けていたりしてしまう人たちがいて、彼らはとにかくそうしないと落ち着けないと話す。そういう人たちを強迫性障害と呼んだりする。「30分も手洗いって、、、」と思うだろう。
 でも、誰にでも「これをしないと落ち着かない」ということがあるのではないだろうか。私の場合だと1日ならなんとか耐えられるけど2日お風呂に入らなかったらとてもじゃないがよく寝られない。そんなふうに振り返りながら思う、「彼らはこのスパンが短いだけなのかも知れない」と。
 つまり、度の問題なのである。少なくとも同じ国に暮らして似たような情報に晒されている以上、類似する感覚は誰の中にも存在してどこにアンテナを張ってきたのか、どこで情報と自分の感覚をリンクさせてきたのか、そのくらい。今は30分手洗いする人に「強迫性傷害」という病名がつけられているけど、1-2分で手洗いを済ませる人たちが「堕落性障害」ってカテゴライズされてもいいわけだよね、という感覚は持っていていいと思う。
 
 

 私の意見は割と一貫している。もう少し、「程度」でものを見れる社会になってほしいということである。