月曜日の朝に

 21時くらいだろうか。昨日は布団に入ったのがそのくらいの時間だったから、目が覚めて時計を見たら午前2時になろうとしているくらいだったのも不思議ではなかった。

 

 私はおそらく元来、いわゆるショートスリーパーに属する人間である。短いときは4時間くらいで十分だと思えるし、大抵の場合は6時間位で満足感を得られる。12時間寝られる人の話を聞くと(私とは違う種族だ)と思わずにはいられない。そもそも朝の方が好きで楽しい飲み会でもない限り、夜遅くまで起きていられる太刀でもない。尤も、国家試験の勉強期間中は部屋から見える朝日が一番私を癒してくれた。今日からまた仕事なので朝の時間を再び睡眠に費やすことの方が「賢い選択」だったのかもしれないが、なんだか今朝はこの時間を自分の「豊かさ」に繋げたいと思ったので、起きてみることにした。カフェオレを入れて、BGMを聴きながら、最近のことについて整理したくなった。

 

 SNSを見ていると、「彼氏に飽きられないようにする10の秘訣」だとか、「こういう男性には要注意」だとか、そういう記事が目に留まることがある。誰かと一緒にいるとき、「この人は自分と一緒にいて幸せなのだろうか」と不安に思ったり、「この人のことを自分は本当に好きなのだろうか」と疑ってしまったり。学生時代色々な人を見てきたし、友人の恋も見守ってきたし、私自身もそんなthinkerになってしまう節がある。

 初めてのことは新鮮だ。初めての食事、初めての映画、初めての旅行、初めての共同生活___。しかし、時々思う。多分、「好き」という気持ち自体はずっとビリビリする刺激的なものでもなくて、どちらかというと「ただ、ある」。それでいて守っていかないといけないものだ。潰されないように、消されないように、吹かれないように、確信し続けること。好きとは何か。好きとは多分、特別なことではない。いや特別でかなり尊いのだけれど、特別でかなり尊いことは、時々振り返って自分の心が温かくなっていくことを感じて、また保存する。上書き保存的作業を要するものであると考えている。あるものやひとが自分の人生になかったらどうだろうと想像してみると胸が痛む。もう、それは多分「好き」なのだと思う。こうやって想像してみる。例えばだけど、今日みたいな早く起き過ぎた朝を使って。

 今回このことをテーマにしたのは、中村航の「絶対、最強の恋の歌」という本を薦められて読んだことも影響している。ある大学生カップルがいて、その二人それぞれの側面からそれぞれ恋の描写がされる。文体も正直とても軽くて普通なのだけど、恋の描写がとても心地よかった。絶対なんてないんだけど、絶対を祈りたくなる気持ちは確実にあること。愛情をただ育みたいと願うこと。そう願い続けることだけが、愛情の交換だということ。(ちなみに3時間とか、4時間とかで読めるくらいの軽さでもあったし、それでも大切なことは再確認できるので、おすすめしたい。)

 

 おすすめといえば、人から、(特にすごく有名な人とかではなくて、)友人だとか恋人だとか、そういう人からおすすめされた本を読むというのはとても素敵なことだなと思う。○○賞とか、話題性とある特定の箔がある著者も格好いいし、きっと共有できる人数が多いだろう。かくいう私も「推し、燃ゆ」を読んだし実際に読みながら人の心を本当にのぞいてるかのような、アトラクションに乗っている躍動感を久々に本で味わった。ただ「人から本を借りたりお薦めされて読む」というのはなんだか自分が編んだとてもツブサで曖昧なものから手繰り寄せることのできたものになるというか。ストーリー性を持たせられる気がするのである。今は「羊と鋼の森」を読んでいる。

 

 

 何が言いたかったんだっけ、あ、そうだ。SNSにはいろんな情報があって、例えばこういう人は選んじゃダメとか、飽きられないようにするためには、とか、駆け引き、とか。いっぱいあるけれど、大切なのは外部に答えを探すのではなく気持ちを「守り続ける」、「願い続ける」ことなんだって言いたかったんだと思う。少なくとも私はそうありたい。