懐かしいという気持ち

時々、仮面浪人をしていた時のことを思い出す。

馬鹿で、視野も狭くて、でもなんだか熱く燃えていた。懐かしい。


懐かしい、とはどういう気持ちだろう。懐かしい、とまとめてしまうのは勿体無い。懐かしい、とはもっと深い感情な気がする。広辞苑をひくのも早いが、その前は私はもっと主観的に懐かしいという気持ちを捉えたい。だから思い出してみた。



私は3年前、仮面浪人をしていた。仮面浪人とは大学に在籍しながら他大学への受験を試みることである。私は一時期この「仮面浪人」に非常に魅力を感じてた。理由はたくさんあった。最も大きなものは「看護師になると決められなかった」ことによる葛藤が辛かったことだった。思えば、もっと肩の力を抜いていいんだよとか、当時の私に声をかけてあげたいことが多い。

落ちた時は大学の教授の部屋でもう無理ですって泣き散らかした。

結局そのあと、私の大学生活は豊かだった。三年生で患者さんを受け持ち始めると人というものの面白さに凄く惹かれた。人はみんながみんな言葉をうまく使えない。その裏にある想いに気づけた時「人を理解する」ことに近づけた気がする。そんな瞬間に豊かさを感じる。もちろん人を100%理解できることなどないが興味を持たなければその%が増えることもない。

私は単純なのかもしれない。

結局、その豊かさを感じられる時私は過去を肯定できる。

でも私は昔のその時期の私が好きだ。仮面浪人をしていた時の私を愛おしく思えることがある。




懐かしい、とは過去を愛おしく思えることだ。と思う。

それが大変なことでも、すごく楽しいことでも、それを思い出したときにどこか愛おしいと思えることだと思う。



仮面浪人自体を悪いことだとか良いことだとか、そんな答えのないものにわざわざ振り回される必要はない。受かれば嬉しい。ただ仮面浪人の一つの成功例は、たとえその結果がどうであろうとも仮面浪人を「懐かしく」感じられることだと思う。少なくとも私はそう信じている。

そしてこれからも「失敗するかどうか」ではなく、過去を懐かしく、つまり愛おしく思えるようにしたい。



一つ、気になっていることがある。私が仮面浪人時代に切磋琢磨していた友人が仮面浪人を懐かしく思えているかどうか、ということだ。


もし、何年かぶりにこのブログを開いた人がいれば私からのラブレターだと思って拾ってほしい。